自己の本分
自己の本分を知る。
辞書には「他を犠牲にしても果たすべき義務」
「本来つくすべきつとめ」とあります。
自分は何のために生まれてきたのか。
生きている間にすべきことは何か。
飲食店の「本分」は何か?
- 飲食店が与えられた役割
- 飲食店経営者、店長などの立場ですべき役割
- 私たちは何のために飲食業で働いているのか
「本分」は、それぞれの使命、任務、ミッションです。
飲食店はメディアになる
多くのテレビやラジオや新聞、雑誌社で働く人たちは、「使命」を持ち報道や番組づくりに取り組んでいました。
社会問題をお茶の間に叩きつけるドキュメンタリー。
テレビの前に家族一同を集めるバラエティ。
子供たちをごっこ遊びに夢中にさせるアニメやスーパーヒーローを生み出しました。
今、どのチャンネルも似たり寄ったりです。
大食い、食べ歩き、拷問に近いスリル、タレントをひな壇に並べたクイズ、K-POPに見劣りする歌唱力のタレント。
代わって、Youtube、Netflix、Amazonプライムなどの動画サービスには面白いコンテンツが目白押しです。
メディアの運営者は、一人の個人から、大資本まで。
全ての人々が情報発信できる環境が揃っています。
飲食店がメディアになるチャンスが来ました。
テレビや雑誌は、行ったことのない外国に視聴者や読者をで連れていきます。
会いたかった人に会ってきます。
パリのギャルソンが友達にインタビューするなら、パリジェンヌの素顔のファッションに触れられます。
ケニアの自動車ディラーとレストランで対談できれば、金鉱持ちの大富豪が何を必要としているのか予感できます。
世界中の視聴者が紐付き無し(スポンサー無し)で、飲食店と面白いコンテンツでつながることができます。
飲食店が世界中に感動を伝えることも可能です。
飲食店では、リアルな人間ドラマが展開します。
飲食店は地域の人々が共有する記憶を発信できます。
街のコンビニもメディアになれる
「家飲み」が習慣化し、コンビニエンスストアは、居酒屋とも競合しています。
レンジでチンで居酒屋と同等のクオリティの料理が出来上がります。
逆に大型の居酒屋では、食品加工工場で調理した料理を使うオペレーションが確立しています。
居酒屋がコンビニエンス化した結果です。
町のコンビニがメディアになる可能性もあったのに・・
震災の時、ありふれた町のコンビニエンスストアが心のよりどころになりました。
ライフラインの要になりました。
列を成した人々がコンビニに食料や電池を求めました。
なにより「店員のかける言葉」が一人暮らしの方たちや不安を募らせる方たちを元気にしました。
残念なことにコンビニエンスストアーは、メディア化に失敗しました。
コンビニが生まれる以前にあった、町の商店の顔役の立場を取り戻すことができませんでした。
私のおばさんは、コンビニが日本に誕生する前に国道沿いで商店を営んでいました。
日用雑貨から酒、たばこ。
軽い食料品や宅配の灯油と町のインフラを支えていました。
POSレジなどない時代です。
お客様との会話から、ご近所の家族構成や嗜好性も把握していました。
ちょっとした会話を交わしにいらっしゃるお客様も大勢いらっしゃいました。
震災後のコンビニが金太郎あめのような無味乾燥な接客に戻りつつあるのが残念です。
それでも、いくつかのコンビニでは、お馴染みさんに声をかけ、軽い会話を交わしています。
シェフの顔が見えるレストランじゃないですがオーナーの顔が見えるコンビニです。
ぜひ、コンビニは、コミュニケーションの拠り所となる町の媒体としての機能を復活させてほしいと思います。
飲食店は街の顔役のチャンスを逃すか
今、飲食店もチャンスを逃そうとしています。
ワクチンが流通し始める。
来店が戻る。
売上が戻ると同時に店がチャンスを逃す危機です。
売上減少に耐えてきただけに回転率が気がかりです。
なんとか、売上を取り戻し、赤字を埋めようと必死です。
お客様を頭数で回転率を掛け合わせるそろばん勘定が先に来がちです。
お客様もそうした意識を敏感に感じ取ります。
頭数で換算されたと感じた人がどんな行動に出るかは明らかです。
その店を機能としか認識しません。
働いているスタッフも食事やサワーを提供する機能です。
コンビニ飲食店の確立です。
機能のみで選択される飲食店は価格競争に巻き込まれます。
飲食店はメディアになる
飲食店も小売店舗も「自己の本分」が何か。
本来の役割に立ち戻るのが近道です。
危機はこれまでのやり方を変革するタイミングです。
運命を切り開くチャンスです。
飲食店は、お客様と価値を共有するメディアに。