士魂商才「論語と算盤」実用要約

渋沢栄一は、次の5つの力に身につけました。

1.未来を予測する力
2.天命を知る力
3.使命を悟る力
4.信頼関係を築く力
5.運命を引き寄せる力

日本のパリ万博派遣団一行

5つの力を養う方法

① 異文化を吸収して新しい文化を創造する。

菅原道真は「和魂漢才」の姿勢で、当時の豊かな文化を中国大陸から学びました。

渋沢栄一も「士魂商才」武士の魂と商人の才覚で外国文明を吸収します。

渋沢の未来予測は、オレがこんな未来にしてやるという徳川幕臣、武士、渋沢栄一の覚悟でした。

未来予測の情報観点は

  1. 植民地となった上海の荒廃した市民たちの哀れな姿
  2. 船上で食べた栄養満点な西洋料理の美味しさ
  3. 軍人と商人、職業による上下のない対等な人間関係
  4. 産業を振興する資本主義の制度と精神
  5. 整備された都市インフラ

自分の目で観て聴いた情報が
渋沢の心を動かし
志を高く育てました。

パリ万国博覧会

② 「智情意」の人間力を養う

「智」:知性=情報を取捨選択して生かす能力
「情」:感情=他者と共感しあえる豊かな心
「意」:意志=成し遂げる覚悟

京セラ創業者、稲盛和夫氏の人生の方程式にも通じます。

「正しい考え方×熱意×能力」→社会を豊かにする価値

③ 価値を共有する仲間たちを作る

「視観察」は、孔子流、人を見極める人間観察法です。
渋沢は一橋家で人事採用の仕事も任されています。
特性を見極め、相応しい事業、部署に配属します。

視>第一印象、服装、行動、表面を「肉眼で視る」
  → 常識道徳においての善悪を視る

観>印象と行動の動機、理由、原因を「心の眼で観る」
  →なぜ?誰のために何の目的で動機を観る

察>何に満足するのかを「分析して推察する」
  →何に喜びや生き甲斐を感じるのか人生観を察する

「そのなす所を視、その由る所を観、その安んずる所を察すれば人いずくんぞ隠さんや」孔子「論語」より
 
意訳「その人のしている事を視、何のためにそうしているのかを観、何に満足するかを察すれば、その人がどういう人か隠すことはできない」

渋沢栄一は適材適所に人を採用し、自分で考え行動する組織を作りました。
また、商売は、関わる全ての人を幸せにするという信念のもと、事業の投資家を集めています。

  • 従業員は働き甲斐を感じ
  • 国民は、物質が充実して豊かになり
  • 資本家は社会貢献した実感を感じ利益も得る

お客様、従業員、会社、株主、取引先らのステークホルダー全てが良しのサイクルを回し、信頼関係が生涯にわたり仲間を育てます。

④ 「恭、敬、信」で信頼関係を築く

恭>礼儀正しく Say Please and Thank you!
敬>敬 う   Respect one another!
信>信頼する  Be Truthful!

渋沢栄一38才
初代、東京商業会議所創設者にして会頭。
前アメリカ合衆国大統領 グラント将軍夫妻が来訪することになり歓迎会開催に奔走します。

この時の渋沢の使命は、明治天皇をお招きする事。
コレラが流行りだした逆境の中、幹事役となり、国内の関係部署の調整に苦心します。

それから、31年後、渡米実業団団長として訪米。
渋沢栄一は、亡くなっていたグラント将軍の墓参りにでかけ、墓前で旧交を温めます。

第18代アメリカ合衆国大統領
グランド将軍

アメリカ各地で行った演説では、ペリー、ハリスらアメリカ人が日本に伝えた文明に感謝し「忘るべからざる記念にして永く恩恵を感銘する処」であると、米国が日本に西洋文明を伝えてくれた感謝を伝えています。

礼を尊ぶ武士道の源泉「論語」の教えを重んじています。

⑤ 学びつづける

「優秀な手腕と頭脳があれば世間が放っておかない」

渋沢の自らの経験から生まれた言葉です。

渋沢栄一は、幼少より、父の手ほどきで漢詩や論語の教えを受け、7才で従弟から論語を本格的に学びます。

24才でパリへ渡るとフランス語を猛勉強、1か月ほどで習得。ヨーロッパの先進技術、社会や経済の組織。資本主義制度や株式会社のシステムと精神を吸収します。

⑥ 使命を自覚する

「論語と算盤」を貫いているのは、武士の覚悟。
失敗や成功も超える「価値ある生涯」を手に入れる覚悟を促ます。

失敗しても輝いていたその人は、主君、徳川慶喜でもあったでしょう。


渋沢は大政奉還を決断し、賊軍と蔑まされながらも日本を外国の勢力争いの戦場にしなかった主君、徳川慶喜の真意を伝えようと25年の歳月と多額の費用をねん出し『徳川慶喜公』全8巻を編纂します。

徳川慶喜公伝


渋沢栄一は、最期まで武士でした。

天職の出会い「論語と算盤」渋沢栄一 8回挑戦の履歴書

天命を知る

渋沢栄一は、転職ではなく転身を繰り返しました。
「マユが蛾になり、再び卵を産む」ように。
新しい世の中を作る志は、一貫して生涯ぶれなかった。

「論語」の孔子もまた、転身を繰り返し、釈迦、キリスト、マホメッドと並ぶ「世界の四大聖人」の一人になりました。

渋沢栄一と孔子の共通点

  1. 一貫した大志を貫く
  2. 時代、土地、環境、境遇の変化に対応する
  3. どこから誰からでも学び吸収して成長し続ける

渋沢栄一の8度の転身

渋沢栄一は、蚕や藍染めの原料を作って売る
兼業農家の後継ぎと期待されていました。

しかし、渋沢は父を説得し、家を出ます。

時代の変化、今ある価値観や常識のアップデートです。

士農工商の幕藩体制が壊れても、染みついた習慣が新しい行動や行動しようとする人を阻止します。

渋沢は与えられた運命「受動的な人生」を選ばなかった。
変化を天命と覚悟し、主体的に運命を変えました。


渋沢栄一の職務経歴書

  1. 商工業も営む兼業農家の長男
  2. 東京、京都で尊王攘夷の志士
  3. 京都にて禁裏御守衛総督(朝廷を警護する役職)一橋慶喜の家来
  4. 徳川幕府の幕臣としてパリ万国博覧会へ
  5. 静岡藩の財政を助ける商工会頭取
  6. 東京にて明治新政府の官僚
  7. 事業家
  8. 民間外交と社会事業家
幕末から明治維新へ 転身する渋沢栄一氏

1.埼玉県深谷市にて商工業も営む兼業農家の長男として
  実務と文武の稽古に励む

 ①麦作と養蚕、染料になる藍玉の原料生産、製造加工
  販売
の経験を積む

 ②習字、論語を含む四書五経などの漢書、日本史ほか
  何十種もの書物を学ぶ
 
 ③剣術は神道無念流の免許皆伝

2.東京、京都で尊王攘夷の志士として倒幕を画策する

  幕府を倒し政権を天皇に戻し、外国の侵略を防ぐこと
  に命をかける

3.京都にて禁裏御守衛総督(朝廷を警護する役職)の
  一橋慶喜の家来になる

  いくつかの財政改善を提案し、奥口番(事務、接待係)    
  から御勘定組頭に昇格する(一橋家の大蔵次官の格)  

4.徳川幕府の幕臣としてパリ万国博覧会へ

  一橋慶喜が徳川将軍に就任。
  幕臣として、慶喜の弟、昭武のフランス外交に随行
  ヨーロッパの公共事業、軍隊、文化などを視察
  フランス語を習得 
  軽工業から重工業へ転換する第二次産業革命を学ぶ

将軍名代としてパリ万博へ招待された
プリンス・トクガワ徳川昭武公 13歳頃

5.静岡藩の財政を助ける商社頭取
  
  大政奉還した徳川慶喜が謹慎する静岡で資本を集め
  静岡商法会所(常平所)を運営

6.東京にて明治新政府の官僚
  民部省兼大蔵省の官僚として新制度の導入、業務改革
  財政改革に挑む

7.事業家
  政府を退官し実業家として、事業会社、経済団体、医療  
  福祉事業、教育機関を設立

8.民間外交と社会事業に力を注ぐ

  米国、中国、フランス、インドなどとの民間外交
  教育、福祉、医療等、関東大震災復興にも奔走

渋沢生涯の主君 一橋慶喜公、のちの徳川慶喜将軍

経歴で磨かれた
渋沢栄一の5つの能力をまとめます。

渋沢栄一と同じように時代の変化を自分ごととしてとらえ自らしく生きている人たちがいます。

イチロー、孫正義、落合陽一、堀江貴文、海老蔵、そして
業界改革の先鞭を切った豊田章男氏などなど
これほど有名人じゃなくても身近なところにも。

M社長の実家は漁師でした。
冬も深夜から起きだし北の荒海へ。
船には酔うし、夏になると網の補修。
何よりも昆布を砂利に敷き詰める天日干しが
イヤでイヤでたまらなかった。
オレを生かせるのはここじゃない!
と奮い立ち、国立大学へ進学。

政府系の銀行で全国を飛び回り、退任後は民事再生企業の立て直しに。
乗り込んですぐに社内をIT化。
デジタルの情報発信能力を教育しました。
情報の見える化、共有化の推進です。

まだ、通信システムが3Gの時代。
IT系でもない地方の中小企業でPCを一人一台支給は早かったと思います。

グループウェアで情報の共有化
自社で動画を制作し、プレゼン能力を競わせ
地域の自治体にくまなく営業を仕掛けていくなど
次々と古い体質を変え
名実ともにその企業を立て直しました。
M社長は社長を退任され今も多くの社会貢献をされています。