「たまり場」と呼べる喫茶店がありました。
事情があって、クラブへ顔を出せなくなった体育会系部員が家にも直帰しずらく、時間つぶしに溜まる店。
野球部崩れ、柔道部崩れ、このあたりのヤサグレタ感じはなんともかっこいいのですが私はフェンシング部崩れ。
なんともしまらない崩れです。
池袋駅東口。
サンフラミンゴ。
雨の中、もう、数十年もたっているのに看板を見つけてびっくりしました。
なんとも言えないやるせない気持ち。
高校生の自分がまだそこにいそうでもあり。
懐かしくキュンともしましたが。
飲食店は大きく2種類あると思っています。
- 機能設備として飲食店。
- 生活の一部としての飲食店。
チェーン店だからと言って機能設備の店とは限りません。
浅草橋にいた時、部屋のそばの「串カツ田中」は生活の一部でした。
仕事帰りの終電が終わった深夜。
キムタクを若くしたような元気な店長がいてくれる。
他の串カツ田中じゃ代替えのきかない店でした。
近所の個人店の焼鳥屋がチェーン店に看板をすげ替えました。
どんなものかと行ってみると、ご近所であるにも関わらず、駅前の店かのような他人行儀なお出迎え。
普段着で出かけたのがバツがわるくなるような心持。
個人店の頃は、「こんばんは」というお隣さんの挨拶。
チェーン店になったとたん元気はいいけど、心に届かない「いらっしゃいませ」。
ご近所の焼鳥屋が機能設備の店になってしまいました。
飲食店は、時には、命を守るシエルターにもなります。
家庭が必ずしも安息の場所じゃない人。
今日一日、誰とも一言も話さなかったという人も。
家に帰りたくない事情がある人も。
失恋をして、1人になると奈落の底に落ちてしまうんじゃないかという人も。
それは、極端な例でしょう。
確かに。
でも、誰もが一度や二度、息をするのさえ苦しくなる。
1人になりたくない時や誰かと話したい時があるものです。
あるいは、喧噪の中で一人ぼっちになりたくなる時もあります
逆に嬉しくて嬉しくて、真っすぐ家に帰りたくないという時も。
いろんな感情を受けとめる店が生活の一部の飲食店です。
お客様の気持ちに共感して受けとめる店は、まるで生き物です。
居合わせた他のお客様とスタッフがその日の飲食店の空気を作ります。
私は、飲食店自体が「人間性を回復する」時が来たんじゃないかと思っています。
レストラン・ルネッサンスです。
飲食業は、他の業界に負けないようにと「外食産業」を名乗りました。
福利厚生を充実させ、給与体系や評価制度を充実させ、水商売、飲み屋だからと社会にバカにされないよう、肩ひじ張って突っ走ってきたように思います。
外食産業から上場企業が生まれ、社会的な成功者も続々生まれました。
しかし、新型コロナウイルスが発生して、この世の中に無くてもいい産業の代表格にされてしまった。
特に飲食店がいらないと言われたいうわけではありません。
旅行業も映画も野球も今は無くてもいいんじゃないかと。
人の移動と密になる業種が商売できなくなっています。
もし、飲食店に「コミュニティ」と言える強い絆があったら、今頃、あっちこっちの飲食店がオンライン飲み会を開いているでしょう。
残念なことに仲間たちのオンライン飲み会は、聴きますが、飲食店が音頭をとって、飲み会を開いているのをまだ、聴いたことがありません。
お客様との関係。
それほどのものだったんですね。
私たちは、深く反省したほうがいいかもしれません。
お客様から何本「大丈夫?」と連絡をいただきましたか?
それほどの関係だったんです。
私たちは。
落ち込んでもしようがない。
お客様を元気にするのが飲食店の仕事なんですから、コロナを機会に「人間性の回復」新しく生まれ変わりましょう。
ニューノーマルです。
レストラン・ルネッサンスの誓い
- お客さんとのエンゲージメント(深い関係性)を作る。
- 来店飲食に限らず体験そのものをデザインする。
- 他業種とリミックス、コラボレーションする。
- 売らないけど買いたくなる。
- セレンディピティ(偶然の発見)がある。
コミュニティ化の事例
- 三越伊勢丹のメディア化戦略
- 東急エージェンシーのコミュニケーション
- トヨタ自動車の新しい価値の創造
三越伊勢丹リモートショッピング開始
館ビジネスと言われたきた百貨店がメディア化しています。
お客様とファッションの価値を共有。
自社の情報発信スタジオを運営。
東急エージェンシーの宣言
Amazing Experience<驚くべき体験>をもたらす
豊田章男社長自身がコミュニケーション・メディアに
社長が前面に。
モビリティの新しい価値をデザインしています。