天命を知る
渋沢栄一は、転職ではなく転身を繰り返しました。
「マユが蛾になり、再び卵を産む」ように。
新しい世の中を作る志は、一貫して生涯ぶれなかった。
「論語」の孔子もまた、転身を繰り返し、釈迦、キリスト、マホメッドと並ぶ「世界の四大聖人」の一人になりました。
渋沢栄一と孔子の共通点
- 一貫した大志を貫く
- 時代、土地、環境、境遇の変化に対応する
- どこから誰からでも学び吸収して成長し続ける
渋沢栄一の8度の転身
渋沢栄一は、蚕や藍染めの原料を作って売る
兼業農家の後継ぎと期待されていました。
しかし、渋沢は父を説得し、家を出ます。
時代の変化、今ある価値観や常識のアップデートです。
士農工商の幕藩体制が壊れても、染みついた習慣が新しい行動や行動しようとする人を阻止します。
渋沢は与えられた運命「受動的な人生」を選ばなかった。
変化を天命と覚悟し、主体的に運命を変えました。
渋沢栄一の職務経歴書
- 商工業も営む兼業農家の長男
- 東京、京都で尊王攘夷の志士
- 京都にて禁裏御守衛総督(朝廷を警護する役職)一橋慶喜の家来
- 徳川幕府の幕臣としてパリ万国博覧会へ
- 静岡藩の財政を助ける商工会頭取
- 東京にて明治新政府の官僚
- 事業家
- 民間外交と社会事業家
1.埼玉県深谷市にて商工業も営む兼業農家の長男として
実務と文武の稽古に励む
①麦作と養蚕、染料になる藍玉の原料生産、製造加工
販売の経験を積む
②習字、論語を含む四書五経などの漢書、日本史ほか
何十種もの書物を学ぶ
③剣術は神道無念流の免許皆伝
2.東京、京都で尊王攘夷の志士として倒幕を画策する
幕府を倒し政権を天皇に戻し、外国の侵略を防ぐこと
に命をかける
3.京都にて禁裏御守衛総督(朝廷を警護する役職)の
一橋慶喜の家来になる
いくつかの財政改善を提案し、奥口番(事務、接待係)
から御勘定組頭に昇格する(一橋家の大蔵次官の格)
4.徳川幕府の幕臣としてパリ万国博覧会へ
一橋慶喜が徳川将軍に就任。
幕臣として、慶喜の弟、昭武のフランス外交に随行
ヨーロッパの公共事業、軍隊、文化などを視察
フランス語を習得
軽工業から重工業へ転換する第二次産業革命を学ぶ
5.静岡藩の財政を助ける商社頭取
大政奉還した徳川慶喜が謹慎する静岡で資本を集め
静岡商法会所(常平所)を運営
6.東京にて明治新政府の官僚
民部省兼大蔵省の官僚として新制度の導入、業務改革
財政改革に挑む
7.事業家
政府を退官し実業家として、事業会社、経済団体、医療
福祉事業、教育機関を設立
8.民間外交と社会事業に力を注ぐ
米国、中国、フランス、インドなどとの民間外交
教育、福祉、医療等、関東大震災復興にも奔走
経歴で磨かれた
渋沢栄一の5つの能力をまとめます。
渋沢栄一と同じように時代の変化を自分ごととしてとらえ自らしく生きている人たちがいます。
イチロー、孫正義、落合陽一、堀江貴文、海老蔵、そして
業界改革の先鞭を切った豊田章男氏などなど
これほど有名人じゃなくても身近なところにも。
M社長の実家は漁師でした。
冬も深夜から起きだし北の荒海へ。
船には酔うし、夏になると網の補修。
何よりも昆布を砂利に敷き詰める天日干しが
イヤでイヤでたまらなかった。
オレを生かせるのはここじゃない!
と奮い立ち、国立大学へ進学。
政府系の銀行で全国を飛び回り、退任後は民事再生企業の立て直しに。
乗り込んですぐに社内をIT化。
デジタルの情報発信能力を教育しました。
情報の見える化、共有化の推進です。
まだ、通信システムが3Gの時代。
IT系でもない地方の中小企業でPCを一人一台支給は早かったと思います。
グループウェアで情報の共有化
自社で動画を制作し、プレゼン能力を競わせ
地域の自治体にくまなく営業を仕掛けていくなど
次々と古い体質を変え
名実ともにその企業を立て直しました。
M社長は社長を退任され今も多くの社会貢献をされています。