料理人と経営者の行き違いがよく起こります。
オーナーシェフがうまくいくのは、経営者と料理人が物理的にも一心同体だからです。
物理的に一心同体でなくてもうまくいかせるのが経営です。
また、一心同体であることで、経営の舵取りを間違えてしまう失敗例も数多くあります。
料理人とオーナーが飲食店を繁盛させ、運営していくには、「信」「敬」「恭」が必要です。
料理人とオーナーに必要な3つ
- 信じる
- 相手を尊重する
- 礼儀正しくする
信じる、尊敬尊重しあう、礼儀を持って接する。
そんなこと、社会人ならあたり前でしょう、やってますよという声が聴こえてきます。
私もそんな気持ちでシェフと向き合ってきました。
しかし、これまで、言い方はおかしいですがたくさんの料理人と店長、料理人とホールサービスのいざこざを客観的に見ることができました。
私自身がシェフと対峙し、実際には「信、敬、恭」を怠っていたなと反省しています。
オーナーは、どれだけ、シェフを信じているでしょうか?
シェフは、どれだけ、オーナを信じているでしょうか?
信じる
一方的に疑いがあっても、盲目に信じることではありません。
シェフが見てきた料理や飲食店、掴んだ技術、味わいを信じます。
修得した味わいをお客さんに食べてもらって美味しいと言ってももらいたいという真心。シェフとして成功したいという欲望を信じます。
オーナーが創業シェフと一緒に店を繁盛させたいという気持ちを信じる。
オーナーが手掛けてきたこれまでの商売の腕を信じる。
お互いがお互いの力を信じる事です。
信頼という言葉は信が頼ると書きます。
信じると信じるが掛け合わさり、信頼関係になります。
尊敬しあう
シェフの作り出す味。
正確さとスピード。
安定した品質。
生まれ待った才能もありますがあきれるほどの時間や数の経験が培った業です。
料理人が生涯かけてと手塩にかけて修業した技です。
オーナーにも店や商売を成功させた経験。
あるいは、開店資金というリスクをとってまで、店を経営しようという情熱があります。
お互いが尊敬しあうことです。
礼儀正しく接する。
オレはオーナーだから命令する。
私がお金を出しているんだかからやりたいようにやる。
あなたは、部下なのだから、上司の言うことを聴くのは当然だという無神経な態度から、「信」「敬」は生まれません。
お互いに尊敬や信頼が育っていない時は、特に注意が必要です。
いつになったら、オーナーと料理人の尊敬や信頼が形になるのか。
待ちきれない思いです。
尊敬と信頼が形になるのは、二人が企てた事業が成功した時です。
事業の成功という共有財産が生まれてやっと尊敬と信頼が形になります。
ですから、小さな成功の積み重ねが大事です。
何が成功で失敗なのかを日々、毎週、毎月共有することが大事です。
この失敗と成功を感情ではなくて、礼をもって明らかにします。
礼は、ミーティングや会議のことです。
会議は、たとえ、2,3人のメンバーであっても、一つの儀式です。
ご主人様と奴隷の間には、会議は必要ありません。
お互いを尊重しあっているから「会議」や「ミーティング」という儀式で、昨日を評価し、今日の行動計画を確認し、明日の業務を予測します。
会議もミーティングも無いということは、「恭」があるとは言えません。
会議やミーティングで昨日より、今日が善くなっている実感を積み重ねることがオーナーと料理人の信頼関係を作ります。
「美味しい料理を作っても売れない」と言ってはいけない
「料理人は、美味しい料理を作れば売れると思っている。
美味しい料理を作っても売れないんだよね」と、オーナーがぼやくことがあります。
これは、販売価格に対して、原価や時間や労力ががかかりすぎていたり、お客さんが求めていない美味しい料理を作った時に起こります。
良いものを作っても売れるとはか限らない。
マーケティングでは、作り手側の思いだけの物づくりでは、売れない。
プロダクトアウトと言われる現象です。
反対は、マーケットイン。
市場の欲求に合致しているということです。
確かに間違ってはいませんがあってるとも言えません。
プロダクトアウトもマーケットインも実績結果を分析していることにすぎないからです。
プロダクトアウトが市場に合致して売れることもあります。
マーケットインだと自信満々販売したものの結果は、製品計画の思い過ごしだったこともあります。
「美味しい料理を作っても売れない」という言葉が一人歩きしてしまいました。
いつのまにか、「美味しい料理を作ったら売れない」かのように言う人まで現れました。
流行っている店があって、厨房をのぞいたら、コンビニやスーパーの特売で買ってきたお惣菜をレンジでチンして売っていたと。
スーパーのお惣菜が美味しい料理を作ろうと一生懸命に努力していないかのように語られます。
「美味い料理を作っても売れない」という言葉は、料理を作る全ての人への侮辱です。
料理を作る人のやる気を失くさせ、働く意欲を削ぎ、努力を空しくさせる凶器のような言葉です。
美味しい料理は、モノとして存在していますが、作っているのは、人です。
これから、ロボットが料理も作るという反論もあるでしょう。
ロボットは、人に代わって、料理を作ります。
AIを搭載し、ますます、人間に近いロボットも生まれてきます。
ロボットだから侮辱してもいいという、倫理でしょうか。
ロボットが人間ではない機械だとしても「ロボットが作っても美味い料理」という、調理ロボットを侮蔑するほど人間は偉いのでしょうか。
調理ロボットは、人の命の源となる料理を作ります。
車が「愛車」と呼ばれるように、調理ロボットも愛される存在にしていくのは、私たち人間です。
「売る」という行為も人間の意志が行っています。
お「美味しい料理」も「売るという行い」も人が行っています。
料理を売る人が料理を作る人を侮辱するような言葉。
「美味しい料理を作っても売れない」という言葉や発想は、「恭」にも「敬」からも外れています。
絶対に使っては、いけない言葉です。
料理人は美味しい料理を作ってください。
オーナーは、美味しい料理を売ります。
この点は、信頼しあう、共有する価値感です。
気持ちは、その通りだけど、料理人は、美味しい料理を作るなら、この条件では無理だと言います。
原価が低すぎる。
設備が人手が時間が足りない。
レンジでチンというわけにはいかない。
サービスの質が低すぎる。
美味しい料理を追求すると、数限りなく要求が出てきます。
理想は、限りなく「王様のレストラン」です。
贅を尽くした究極のグルメ。
シェフは、そこまで要求していませんよ。
世の中にある中以上であればいいんですと言います。
美味しい料理を苦労して作ってきた料理人は、ステイタス性の高い中級以上のレストランで尊敬されたいのです。
ステイタス性の高い料理店にいることで自分にもステイタスが具わると思ってしまいます。
これは、会社員でも同じです。
一流の会社に入れば一流の人間になれると思ってしまいます。
確かに一流の会社には一流の人材が育ちます。
会社も一流の人間になれる素質がある者を採用しようとします。
一流企業には、六大学やMARCHなどを中心にした大学の枠があります。
先輩たちがその会社で実績を上げているからです。
表向きには、そんなものはありません。
記事「採用大学」ランキングDIAMONDonline https://diamond.jp/articles/-/231279
飲食店でもどこの専門学校なのか、学生時代にどこでアルバイトをしてきたのかが採用の決め手になるのと同じです。
辻調理師専門学校は、「料理界の東大」と呼ばれています。
校長の辻芳樹氏、先代の辻静雄氏は、数多くの偉大な料理人を育ててきました。
インタビュー 「料理界の東大」トップが描く未来の食https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44582800Z00C19A5000000/
飲食店という小さな世界で日々暮らしていると世間に暗くなります。
店長や料理長が中以上の店を作れば、なんとなくかっこいいいいし、流行るんじゃないかと思えてきたりします。
会社員は、就職活動で「身の丈を知る」洗礼を受けます。
1983年から1997年にかけてヒットした「不揃いの林檎たち」は、「身の丈を思い知る」ドラマでした。
2流の大学2流の会社、幸せとはいいきれない家庭環境。
本来、メインストリームでは、描かれなかった設定が多くの人たちの共感を呼びました。
ステイタスな飲食店とは
そのお店のステイタスは、お客様とお店が作り上げた文化です。
無名の1件のレストランが飲食店に影響を及ぼしました洋食レストランでありながら、居酒屋、焼肉屋までもがそのレストランの料理の盛り付けやお皿を真似しました。
そのレストランは、エルブジ(エルブリ)。
2年先まで予約が埋まり、毎日、世界中から予約が殺到し、世界中から、働きたいという料理人が集まりました。
ステイタスは、渋沢栄一が興したような政府の肝いりで作られた店ばかりではありません。
エルブジのようにレストランに住み込みように没頭して、できたステイタスレストランもあります。
むしろ、民間では、正しく繁盛させて、ステイタスレストランになっています。
寿司屋 すきやばし次郎
てんぷら 近藤
今や高級店となった個人店です。
正しく繁盛させることが「論語と算盤」。
飲食店経営に必要な「道徳と稼ぐ」両輪です。
巨額の投資をして、政府の要人や海外からのVIPをおもてなしする料理店も存在します。
渋沢栄一が興した「帝国ホテル」はまさにそうした位置づけです。
外国から大統領も来ますし、海外の政財界の要人や文化人をメインダイニングでもてなします。
最高のサービスと料理を出せる飲食店があるかないかでその国の国力、文化度を品定めされます。
我が国は、野蛮な国ではありません。
文化を持って、対等にお付き合いしていきましょうという外交です。
料理人は、大統領をおもてなしするステイタスレストランほどじゃなくていいので、中以上のステイタスをと一応、遠慮したりします。
そして、中以上の美味しい料理を作ります。
確かに美味しい。
でも、これじゃあ、売れないよ。
「美味しい料理を作っても売れないんだよな」というぼやきになります。
カニ穴主義
「己を知る」
カニは甲羅に似せて穴を掘り住処にします。
身の丈を知らないと間違いのもとだと渋沢先生は、諭します。
新店舗開店にあたり、料理長に抜擢された料理長。
あるいは、異動で店舗を任された料理長。
そして、資金を工面して新店舗をこしらえたオーナー。
あるいは、店を任された店長。
「自分の丈」を守ることが肝心です。
自分の身の丈を忘れないようにしながら進む。
中以上の飲食店は将来やろうじゃないか。
中なのか上なのか、そんなことはどうでもいい。
胸張って、自分の身の丈に合った商売で成功しよう。